この文章は、学生に「研究」について説明する際に伝えている内容を書き下したものである。基礎的な内容ではあるが、必要に応じて参照できる資料としてまとめておく価値はあるかと考えた。
なお、「研究」で何が重視されどう進めるのが適切かは、分野によって非常に大きく異なる。できる限り一般的な説明を心がけるが、とはいえ読者の分野との差異もあるだろう。ここでの説明は、基本的には私の研究分野(というより私の研究室)でのことだと理解してもらいたい。
研究とは「人類の知識の総量を増やしてゆく活動」である。つまり、人類全体として今まで「知らなかった」ことを「知る」ことが研究である。この状況を一言で表せば、「新規性(novelty)のある結果を公知(publicly known)にすること」が研究である。「新規性」がなければ研究ではない。結果を「公知」にできなければやはり研究ではない。その2点がそろっていれば、原則としては研究である。
まず、「公知」について考えよう。ここで言う「公知」とは、不特定多数の人が、その事実を公然と知ることができる状況になっていることだ。最も基本的な形は、その成果をまとめた文書が公開されていることである。論文が典型的だが、それ以外の形式でも構わない。
研究にとって「公知にすること」は必須である。つまり、研究者自身がその事実を知っただけでは研究ではない。卒論生が、卒業論文を書くのに行き詰まり、「私はちゃんと研究したんだから論文は勘弁してください」というようなことを言うことがあるが、この考えは正しくない。論文を書き終わるまでが研究である。
「公知」の概念は、研究のもう1つの要件である「新規性」に密接に関連している。「新規性」とは「それまで公知でなかった」ということを指す。つまり、研究とは「公知でなかったことを公知にすること」である。
原理的には、「公知でなかった事実」を明らかにすれば新規性はある。しかし、研究について論じるとき、「新規性」には「その事実を公知にすることに、人類にとっての価値があること」を暗黙に含めることがほとんどである。例えば、今朝の私の体重は「公知」ではないが、これを「公知」にしても人類に利益はないだろう。この場合、私の体重の公開に新規性があるとはみなさない。
学生と話をしていると、「研究」について誤解をしていることが少なくない。以下、典型的な例を挙げる。
最も典型的な誤解は、「『研究』では人類にとって大きな『価値』がある結果が得られなければならない」というものである。また、似た誤解として、「『研究』の価値は、その結果がどれほどの『価値』を人類にもたらしたかである」という物もある。
これらの認識は間違っている。原則として、「研究」は知識を増やす活動であって、価値を生み出す活動ではない。
なぜこのような原則になっているかは、例えば最大公約数を求めるユークリッドの互除法を思い浮かべると理解できる。互除法は二千年以上前に発明され、未だに使われている。つまり、千年以上にわたって「価値」をもたらし続けているのだ。また、最大公約数は現代ではRSA暗号などに使われているが、このような応用は二千年前にはまったく意識されなかったものだ。このような状況を考えれば、ユークリッドの互除法がその発明時にどのような「価値」があると認識されていたかは現代の我々からみれば全くどうでも良い、ということが分かるだろう。ユークリッドの互除法に限らず、各分野の「偉大な成果」とされるものはいずれも似たような状況になっている。ニュートンの運動方程式しかり、メンデルの遺伝の法則しかりである。
このような歴史的な経緯をふまえ、研究の世界では、「知識が長期的にどのような価値を生み出すかは、事前には判断しがたい」、よって「知識を増やすのは原則としてそれ自体が価値である」というのを基本的な考え方としている。そして、短期的(例えば向こう5年)に大きな価値のある成果より、長期間にわたって価値を持ち続ける可能性がある成果を高く評価する傾向にある。
研究について同様によくある誤解は「研究の価値は新規性の『大きさ』で決まる」というものだ。これも根本的に間違っている。研究の価値は原則として新規性の「明確さ」で決まる。
例として、病気Xに対する薬を作ることを考えよう。このとき、研究としては、「投与するとXの療養期間を『大きく』縮められる(かもしれない)薬」よりは「投与するとXの療養期間を(わずかであっても)『確実に』縮められる薬」に高い価値がある。これは、商品開発のような文脈とは少々異なる。療養期間が少ししか縮まらない薬は商品としての価値に乏しいかもしれない。しかし、「この薬は確実に効く」ということが分かれば、より良い薬を開発したり、Xの原因などを解明したりといったことの足がかりになる可能性がある。つまり、長期間にわたって価値をもたらし続ける可能性が高いのだ。
新規性の大きさと確実さは実際には関連がある。例えば、療養期間が大きく縮まる薬であれば、それほど実験しなくても、療養期間が確実に縮まることが分かるだろう。逆に、療養期間がごくわずかしか縮まらないなら、かなり注意深く大規模な実験をしない限り、確実に縮まるとは言えないだろう。だからといって、両者を混同してはならない。あくまで大事なのは「確実に」である。
このような誤解は、研究成果を発展させようとしている際などに典型的に現れる。学生は往々にして「もっと『すごい』結果にするには」と考えがちだが、あまり良い方向性ではない。むしろ、「現状では『確実だ』と言えないのはどこか?」と考えた方が良い研究になりやすい。
学生に新規性について尋ねたとき、「私は知らなかった」とか「調べた範囲では見つからなかった」というような反応が返ってくることが多い。しかし、これでは研究としては不十分だ。研究の新規性のためには、「自分」にとってではなく「全人類」にとって新しい必要がある。
ちょっと考えてみて欲しい。あなたが出したアイデアは、全世界の研究者が何十年も考えても思いつかないような物だろうか? ほとんどの場合は違うはずだ。にもかかわらず、あなたの成果に「新規性がある」と考えるのは合理的だろうか? その主張は、本当にその分野の第一人者の前でも自信を持って言えるだろうか?
確かに、新規性がある、つまり「このことに言及した文書はない」、というのは悪魔の証明であり、確認はできない。しかし、だからこそ「確実な」新規性を目指す努力が研究では重視されるのだ。研究に際しては、「本当にこのことは『全人類』が知らなかったのか?」ということを常に自問しよう。
実際のところ、よく調べてみると、あらゆる研究(トップカンファレンスやトップジャーナルに採択されたような研究でさえ)において、1つ1つの研究の新規性はかなり小さい。例えば、「この既存手法の、この部分をこのように少し変えてみたものは今までなかった」とか、「この技術自体は知られていたが、この応用に使ってみた結果はない」とか、「この結果自体は他の技法でも得られるが、この技法で同様の結果を得たものはない」とかいうものだ。繰り返しになるが、小さくても確実な新規性を示す、というのが研究では大事なのだ。
「公知」は研究の根幹をなす概念である。しかしながら、「どの程度の人が知ることができれば『公知』なのか」というのは案外難しい問題ではある。
「公知」は、原則としては、全人類が理解できることを求めない。例えば、日本語の文書は、日本語を解する人類しか理解できないが、それでも「公知」である。高度に専門的な論文は、英語で書いてあっても全世界で数名しか理解できない場合もあるが、それでも「公知」だとみなす。
また、「公知」は全人類が容易に入手できることを求めない。例えば、卒業論文はインターネット上からはなかなか入手できないことが多い。そうであっても、それが学科の図書室に収蔵されたり、指導教員に連絡すれば入手できたりするなら、「公知」だと言っていい。高額な書籍に収録された文章も、それを購入しなければ読めないとしても、「公知」である。
以上からも分かるように、原則としては「全人類が『原理的には』入手・理解可能であるもの」は公知である。とはいえ「公知」にも程度がある。例えば、SNSのメッセージに書かれた内容は「あまり公知ではない」とみなされることが多いだろう。そのアカウントと繋がりのある人しか気づくことすらできず、検索でたどり着くのも難しく、また一定期間で(事実上)失われてしまう。また、(ドキュメントを伴わない)プログラムだけが公開されているのも、「あまり公知ではない」となる。プログラムは(少なくとも第一義的には)人間が読む文書ではないからである。
このように考えてみると、「公知」には「公知である」と「公知でない」しかないわけではなく、ある程度のグラデーションがあることが分かる。そしてこの観点からは、「弱い公知」を「強い公知」にすることもまた、研究であると言っていい。典型的には、非常に難解で専門性の高い内容をよりわかりやすい形で説明しなおす、ある分野で知られている事実をまったく別の分野に紹介する、なども十分研究になり得る。また、日本語でのみ論じられていた内容を英語で説明し直す(またはその逆)、というのも研究とみなされても不思議はない(ただし、研究のグローバル化や機械翻訳技術の進展などもあり、現代では研究とみなさないのが普通だろう)。
しかしながら、特に卒業研究・修士研究では、この「公知の程度」を意識するとかえって混乱することが多い。この段階では、本人の知識が不十分なため、本人が想像する「公知の程度」と実際の「公知の程度」がずれやすいからだ。そのため、特に研究初期の段階では、「公知でないものを公知にする」という原則に従って考えることを強くお勧めする。
研究が研究であるためには「新規性」を「公知」にできればよい。しかし、これだけを指針に研究を行うのは、慣れないうちは難しい。そこで、特に卒業研究などでは、典型的なパターンに従って研究を進めるのが普通だ。以下、研究を典型的に構成する要素を説明する。
研究がどのような要素から構成されるかは、論文がどう書かれているかと表裏の関係にある。論文は研究成果を公知にするためのものなので、その研究の構造をなぞる形で書かれるからだ。これをふまえ、ここでは論文の読み方についても併せて説明する。
なお、ここでの説明では「領域限定言語に基づく最適経路問合せ」を具体例として用いる。古い論文ではあるが、日本語であること、オープンアクセスであること、おおまかな内容を理解するのに必要な知識が少ないことから選んでいる。
まず、研究には「背景」がある。これは、その研究をなぜ行いたいのか、その研究に至る学術的な経緯がどのようなものか、というようなことの説明である。個々の研究での新規性は原則としてかなり専門的だ。 そのため、「背景」という形で前提知識を提示しなければ、他の人がその新規性を理解できない(≒公知にできない)のだ。
論文もほぼ間違いなく「背景」の説明から始まる。 例に挙げた論文であれば、「最適経路問題は最短路問題の一般化である。理論・実用の両方から重要であり、よく研究されている」というのが「背景」にあたる。
前述の通り、研究背景の役割は前提知識の提示である。そのため、研究背景は原則として、想定読者・想定聴衆の誰もが知っている・同意できることから始まるはずである。自分が論文を読む際に、背景がうまく理解できない場合、自分の知識不足を疑うべきである。背景が理解できなければ、論文の新規性が理解できるわけがない。また、自分が卒業論文や修士論文を執筆する際には、その学科・専攻での必修講義の内容程度から始めるのが良い。
研究背景に続いて、この研究で解決したい技術的課題(または明らかにしたいリサーチクエスチョン)を提示する。この課題の解決は、この研究の新規性に対応しなければならない。
技術的課題を新規性に対応させるには、いくつかの条件を満たす必要がある。まず、その課題はこの研究で解決出来るぐらいの規模でなければならない。例えば、「宇宙の起源を明らかにしたい」とか「人間を超える汎用AIを構築したい」というようなものは、技術的課題たりえない。次に、研究としての最低限の価値を持たなければならない。例えば、今朝の私の体重を明らかにする、ではダメだ。さらに、この解決方法が公知であってはならない。例えば、単純型付きラムダ計算の強正規化可能性の証明もダメだ(もちろん、公知でない新しい証明を与えられるなら良い)。
技術的課題を理解することが、論文を理解する上での最初の目標になる。技術的課題を理解できれば、その論文の新規性(言い換えると、その論文がどのような内容を公知にしているか)を大雑把には理解できたことになる。 なお、ほとんどの論文では、技術的課題は「はじめに」の後半にはっきり書いてある。「はじめに」を読み終わったときには、必ず「この論文の技術的課題は何だったのか」と自問するようにしよう。もし即答できないようであれば、先を読み進めるのではなく、もう一度「はじめに」を読み返した方が良い。
逆に、論文を書く場合や研究発表をする場合には、技術的課題を理解させることが最初の目標になる。そのため、技術的課題までの説明は何度も見直し、少々誤読・誤解しても苦労なく理解できるような説明になっているかを確認しよう。
なお、例に挙げた論文では、「様々な最適経路問題についての知見をアルゴリズムについての知識の乏しい人が簡単に利用できるようにしたい」というのが「技術的課題」である。
「先行研究」は技術的課題と深く関連する。技術的課題が特に「手法XのPという欠点を解消する」とか「手法Xと手法Yの長所を両方持つ手法を構築する」という形になっている場合、XやYのことを先行研究と呼ぶ。 先行研究を提示することで、技術的課題を簡単に、そして説得力をもって説明できる。特に、先行研究がその時点での最先端の研究であった場合、それを明確に改善することができれば、新規性がほぼ自明に手に入ることになる。
大部分の研究は直接の先行研究をもつ。しかし、これまでの説明からも分かるように、研究にとって先行研究は必須ではない。実際、今回例に挙げた論文には直接の先行研究がない。しかし、先行研究がない研究を行うのは難しい。その論文の新規性や価値を全て自力で示さなければならない。また、現実には、よく調べてみればほとんどの研究には先行研究が見つかる。本当にそれが解く価値のある技術的課題であれば、既に誰かが取り組んでいるはずだろう。誰も取り組んでいないなら、その課題を解く価値が低いか、その課題の解法が実は公知であるか、またはその課題が解けないぐらい難しいか、のいずれかの可能性が高い。そのため、研究に慣れるまでは、できる限り先行研究のあるテーマを選ぶことをお勧めする。
さて、技術的課題を解決し公知にできれば研究となる。しかし、その技術的課題の解決は簡単ではないはずだ。もし非常に簡単なら、その課題の解決方法は事実上公知であったことになり、新規性が消失してしまう。よって、新規性に繋がるような課題を解決するには、何かしらの苦労が伴うことになる。
苦労には様々な形がある。その中でも特に典型的なのは、何かしらの「着想(アイデア)」によって課題を解決するパターンである。この場合には、「技術的課題+着想」が「新規性」となるため、着想を明確に示すことは非常に重要である。 とはいえ、「着想」は研究に必須ではない。例えば、調査や実験に単純に大きな労力がかかる、というような困難の形もあり、その場合には地道な作業が技術的課題を解決する。
「技術的課題」と同様、「着想」も論文の「はじめに」にはっきり書いてあることが多い。そのため、「はじめに」を読み終わったときに、「この論文での中心的な着想は何か」を自問するのは良い習慣である。しかし、「着想」についての言及が「はじめに」にはない論文も珍しくない。「中心的な着想」について自問する際には、「書いていない」「そもそも『着想』が重要な研究ではない」という可能性も含めて考えよう。
なお、例に挙げた論文では、「『再帰関数によって』欲しい最適経路を記述する」というのが着想となっている。
解決すべき課題や、それの解決のための着想が明確になれば、「新規性」の種は手に入る。そこから先に必要となるのは、研究としての価値を高めること、すなわち新規性の「確実さ」を高めることである。
新規性の確実さを高めるために何が必要かは、研究によって異なる(「確実さをどうやって高めるか」に「着想」が必要になる場合も少なくない)。典型的な方法は、調査・実験・分析・論証などである。ほとんどの研究では、調査や実験などを経ることなく「確実さ」に至ることはできない。そのため、分野によってはこれらが研究の必須要件のように捉えられることもある。しかし、研究という営み全体から見れば、これらは全て必須ではない。どんな形であれ、確度の高い新規性が得られれば良い。私の研究分野にも、定理の証明をするだけの研究、調査をするだけの研究、システムを作るだけの研究、エッセイにしか見えない研究など、様々なものがある。
論文を読む際には、原則としては、この部分はざっと目を通せば十分で、精読する必要はない。この部分に時間をかけるより、多くの論文に目を通した方が良い場合がほとんどだ。これには主に2つの理由がある。
まず、この部分は新規性の「確実さ」を高めるためのものであって、「新規性の内容」にはほとんど関係ない。つまり、ちゃんと書かれた論文であれば、この部分を精読しなくても、その研究は大体理解できるはずだ。
次に、この部分は多くの場合専門家にとってすらかなり難しい。論文とは最先端の研究成果を報告している物なのだから、内容が簡単な訳はないのだ。簡単な内容で済むならもっと前に誰かが発見していたはずなのだから。そのため、この部分をちゃんと読もうとすると、かなり時間がかかる上に、結局理解できないというケースも少なくない。
ただし、例外的に、この部分をちゃんと読まなければならないケースがある。それは、その研究が、あなたの研究に密接に関連する(典型的には先行研究にあたる)場合である。この場合、その研究を細部まで理解し、その研究の可能性や限界、またその研究についての著者の見解などを、正確に理解しなければならない。ただ、そのような場合ですら、1本の論文を時間をかけて精読するより、様々な論文に目を通しつつその論文を何度も再訪した方が理解が深まるだろう。
関連研究とは、その研究の新規性や価値を示す上での傍証になるような研究である。「この論文を書くにあたって勉強した内容」ではない。
研究を行うにあたっては、新規性を確かな物にしなければならない。しかし「新規性=公知でないこと」は証明できない。そこで、代わりに「関連する技術的課題に取り組んだが研究を網羅的に調べたが、それらにはここまでしか示されていなかった」ということを示すことになる。それを通じて、既存の研究の流れがどうなっているのか、あなたの着想に他の研究者がなぜ至らなかったのか、などを論じることができればなお良い。さらに、別の技術的課題においてあなたのものと似た着想が使われている例を網羅的に挙げることも、その技術的課題でその着想が使われなかった傍証になるだろう。また、関連する技術的課題に取り組んだ研究を挙げることは、その研究成果の価値の傍証にもなるだろう。
以上の理由から、多くの研究では関連研究をそれなりの数挙げることになる。もちろん、関連研究も必須ではない。とはいえ、先行研究以上に、関連研究の乏しい研究はお勧めしない。関連研究を挙げることなしに新規性を論じるのはとてつもなく難しい。
多くの論文には「関連研究」という節がある。この節は理解が難しい。複数の最先端の研究成果同士の関係を、非常に短い言葉で表していることがほとんどなので、読み解くには一般にかなりの知識を要するのだ。しかし、可能な限り、「関連研究」の節には目を通しておくことをお勧めする。
「関連研究」の節を読んでいくと、その研究の背景やその研究が置かれている文脈、研究同士の関係性などが分かるようになる。これは、少数の論文を読んでいるだけでは実感できないだろうが、関連する複数の論文を読み進めてゆくと徐々に見えてくる。例えば、論文Xと論文Yが同じ論文Zを関連研究として挙げていた場合、Xでの説明とYでの説明を併せることで、Zをより良く理解できるだろう。また、Zに対するXでの説明とYでの説明の違いから、XとYの違いが見えてくることもあるだろう。このような理解は、最終的に自分の研究をまとめてゆく際には大きな資産になる。
例に挙げた論文では、直接の先行研究はなかったが、関連研究はある。以下、やや技術的になるが、関連研究についての議論の一例として紹介しよう。この研究のポイントは、「最適経路問題で」「再帰関数による問題記述で」「一般のグラフに対して効率を保証できる」ということを示した点にある。「再帰関数による問題記述で」「効率を保証できる」研究としては、Sasanoらのもの、Birdによるもの、そしてMorihataのものがある。しかし、これらはグラフアルゴリズムに対しては適用できない。また、Arnborgらの研究やBorieらの研究はグラフアルゴリズムを扱えるが、グラフがある条件を満たさないと効率が保証されない。しかも、問題記述は単項二階述語論理を拡張した物で行うため、普通のプログラマにとっては使いにくい。最適経路問題について、一般のグラフに対して効率の保証のあるアルゴリズムを与える研究も沢山あるが、いずれも再帰関数による問題記述に汎用性が及ばない。以上のような状況を考えれば、この研究の新規性は確からしいと言えるだろう。
研究は、研究成果を公知にすることで完成する。書き上げた論文PDFをインターネット上で公開するだけでも公知にはなるが、きちんとした査読を経た論文として出版できればさらに望ましい。査読に通ったということは、少なくとも何名かのエキスパートが確認したということなので、明らかな間違いや根拠のない主張などは比較的少ないだろう。 また逆に、自分が論文を読む場合には、それが査読を経ているかどうかは必ず確認しよう。
(※査読はその論文の「正しさ」を保証するものではない。究極的には、論文は誤りを含みうると考えて読むべきだ。とはいえ、著者以外誰も内容を精査していない(=査読なし)ものと、複数名のエキスパートが内容を精査した(=査読あり)では、期待できる内容の信頼性はかなり違う。)
なお、査読の詳細や、査読を前提とした論文の書き方などには本稿では深入りしない。
以上で研究を構成する要素は概ね尽きているが、論文の場合にはさらに追加の情報が色々と付いてくる。 これら理解することで、論文をより良く理解できる場合も多い。以下、いくつか代表的な点について説明する。
まず、論文には「タイトル」がある。タイトルは著者がその研究を最も端的に表すと考えた語句になっているはずなので、その意味をよく味わおう。特に、タイトルに専門用語が含まれている場合、それがその研究のキーワードのはずなので、「はじめに」を読み終わった段階で、自分がその用語を理解できているかどうか確認しよう。 用語の理解が曖昧だった場合や、なぜそれがキーワードなのか分からなかった場合は、その研究の新規性をちゃんと理解できていないだろう。
著者がだれか、というのは究極的にはかなり重要な情報だ。同じ研究課題であっても、著者ごとに専門性や問題意識が異なるため、結果的にまったく違う研究になることが少なくない。例えば、「自然言語処理技術を用いて自動プログラミングを行う」という研究課題だったとして、これを自然言語処理分野の研究者が行うのと、プログラミング分野の研究者が行うのでは、結果的にできあがる研究は全然違う物になるはずだ。このような情報を全ての著者について網羅的に知るのは困難だが、面白いと思った論文については、その著者が他にどんな研究をしているかを調べてみると良いだろう。思わぬ発見があることも少なくない。
著者が複数名いる場合、「その研究の方向性を決めているのは誰か」という点を意識できるとさらに良い。所属学生やインターンに研究をさせている場合、筆頭著者は次々に変わっていくが組織としては一連の研究を行っている、という状況になることが多い。そのため、筆頭著者だけでなく末尾付近の著者についても調べておくと良い(特に工学系分野では「偉い先生」が著者順で末尾付近になることが多い)。
特に典型的なのは、営利企業で行われた研究の場合だ。企業にはある程度一貫した業務上の目標があり、研究もその目標を達成するための手段として行われる。その際、担当者は業務上の制約をふまえて(つまり各研究員の興味などはある程度無視して)割り当てられるので、筆頭著者はそれほど重要な情報とはならないことも多い。
論文には概要がついているが、原則としてこれを読む必要はない。概要はかなり簡潔に書いてあるため、専門家以外にとっては理解が難しい。無理に読もうとして時間を無駄にしたり誤読したりするより、「はじめに」を丁寧に読む方が建設的だ。
どのような媒体で出版されたかにもかなりの情報が含まれている。以下に典型的なものを挙げる。ただし、これは研究分野にかなり依存するので、詳しくは指導教員から教わろう。
学術会議か学術雑誌か 典型的には、学術会議(学会)での発表は「最先端の研究成果の速報」であり、正確で詳しい情報は学術雑誌に載る。実際、学会での発表内容を拡張したものが学術雑誌に掲載されることは多い。そのため、もし同じ著者グループの、かなり近い内容の複数の論文がある場合、学術雑誌に掲載された物を読もう。詳しい情報が追記されていたり、学会発表の際に含まれていた誤りが修正されていたりする。なお、情報科学分野では、国際学会での発表は一般にかなり厳しく査読されており、学術雑誌論文との差は小さい。なので、無理に学術雑誌論文を探す必要はない。
学会のスコープ それぞれの学会には、そこで主に発表される内容(スコープ)が決まっている。これはかなり大事な情報だ。スコープのど真ん中の内容であれば、専門家が評価したソリッドな成果であると想像できる。その代わり、説明が専門家向けでやや分かりにくいかも知れない。一方、スコープの辺縁に近い内容の場合、なぜその学会で発表されているのかを考えながら読んだ方が、より正確な理解が得られるだろう。なお、学術雑誌にもスコープがあるが、多くの場合学会のスコープよりはかなり広いので、それほど意識する必要はない。
学会・雑誌のランク 学会・雑誌にはいわゆる「ランク」のようなものがある。詳しく知る必要はないが、以下の3段階ぐらいでの区別ができると望ましい。 (1) その分野トップであり、その分野の多くの研究者が目指している競争的なもの、(2) その分野でのソリッドな良い成果が出るもの、(3) 意味不明でなければほぼ通るようなもの。 (1) に採択されたものは他の研究者も参考にする可能性が高いので、自分の研究に関連が深いものは抑えておきたい。(2) の場合でも、多くの場合は専門家がチェックしており、結果の信頼性は (1) と大差はない。(3) の場合、ある程度眉に唾をつけて読まなければならない。典型的なものとして、「ワークショップ」と名乗っている学会の場合、その分野の研究者の交流のために開催されていて、発表も「最近ちょっと考えている面白そうな話」ぐらいの場合もあるので注意しよう。
研究の進め方は、「研究とは何か」以上に、分野や研究室、指導教員の指導方針などに依存する。以下、ひとつの考え方を紹介するが、これが唯一無二の正解ではない。くれぐれも指導教員とよく相談しながら取り組んで欲しい。
研究を進める大方針は「最終的に研究になるように進める」である。つまり、研究に求められる要素を一つずつ埋めてゆけば良い。当然のことに聞こえるかも知れないが、実際にはこれが案外難しい。研究を進めてゆくと、指導教員はきっと「背景は?」「先行研究は?」「技術的課題は?」「着想は?」「関連研究は?」などとあなたに質問することになるはずだ。いずれも研究としては当たり前のことだが、これらの質問に即答できる学生はかなり少ない。
研究を進めるのは、例えるなら大きな建物を建てるような作業だ。「背景」や「新規性」、「関連研究」などは、その建物の全体像に当たる。柱一本、壁一枚作るのに注力するあまり、全体として整合性のない構造になってしまうと、建物全体が瓦解してしまう。 このようなことがないよう、研究の大きな構造は研究中を通して常に意識するべきだ。 特に、研究として完成させるには何が足りていないのか、を常に確認しておくのは有益だ。なお、大きな構造を意識しておくと、研究計画の提出を求められたり、研究の進捗についての発表が求められたり、また最終的に論文にまとめる際にも、スムーズに進めることができる。
まずは研究の大雑把な方向性を決めなければならない。これは、研究の構成要素としては「背景」に対応する。これには、大きく分けて3通りの典型的な方法がある。
1つ目は、最先端の研究を調べ、それを先行研究・関連研究とするような研究を目指すものだ。このアプローチは方針としては最もわかりやすい。最先端の研究結果を改善できれば、新規性がほとんど自動的に手に入るからだ。しかし、当たり前だが最先端の研究を上回るのは簡単ではない。まず最先端の研究を理解し追いつくことすら、普通はかなり大変だ。もしそれが簡単なら、そもそもその研究は「最先端」にはなっておらず、もっと前に達成されていただろう。その上で、最先端の研究の欠点を発見し、それを改善する着想を出さなければならない。
2つ目は、研究室や指導教員が持っている研究テーマをやる、という方法だ。この方法には、指導教員や先輩からその研究テーマについての比較的詳細な説明を受けられるので、最先端まで追いつくのが簡単だという長所がある。その代わり、選べる研究テーマの幅が狭く、個々の学生の興味や長所に合った物とはなりにくいという欠点がある。また、このアプローチの場合、既存研究のマイナーな改善を繰り返すことになってしまい、視野の狭い(つまり長期的な価値を生み出しにくい)研究になりやすい。他のグループの研究の改善を目指す場合、そのグループが気づいていない新しい発想を自分たちが持ち込めることも少なくない。しかし、自分のグループだけで研究をしていると、同じトピック・同じ着想の周りをぐるぐる回るだけで進歩がない状態になってしまうことが多いのだ。
3つ目は、自分が興味のあるテーマ・トピックについて調べる、という方法だ。このアプローチの長所は、その学生の興味嗜好に合ったテーマにできるため、研究を進めるモチベーションが高まりやすいという点だ。しかし、学生(特に学部生)が思いつくようなテーマは専門家も当然考えており、新規性が出しづらい(現実的には、そのままの形で新規性が手に入ることはほぼない)という欠点がある。そのため、「研究成果を出す」という観点からは、厳しい道になりやすい。
以上みてきたとおり、どのアプローチにも長短はある。そのこともあり、多くの研究室ではこの3つをある程度組み合わせて研究の方向性を決めているだろう。要するに、最先端の研究を調べてそれに関連させつつ、研究室のテーマにも学生の興味にもある程度合致するようなテーマを探す、という方法だ。
いずれの方法だったとしても、テーマ探しの過程で出会った「背景の説明」はよく覚えておくことをお勧めする(必要に応じてメモをしておくのが良い)。研究テーマがかなり大きく変わらない限り、背景は流用できることが多い。自分が自信をもって説明できる「背景」となるように研究テーマを選ぶ、という考え方で研究の方向性を決めるのも良いだろう。
ある程度研究の方向性が決まれば、次は技術的課題を特定しなければならない。
1つの方法は、先行研究の欠点を改善する、というものだ。特に典型的なケースは、先行研究の「手法の限界」や「今後の課題」に記載されている課題に取り組む、ということになろう。この方法は一見非常に自然だが、実際には注意が必要である。なぜなら、もしそれが本当に面白くてそれほど難しくない(卒論生や修論生にもできる程度の難しさの)課題であれば、先行研究の著者がやっているはずだからだ。先行研究でその課題が残されたということは、その課題は難しいか、またはあまり面白くないとみなされたのだろう。著者がなぜその課題を残したのか、またその著者の予想を自分がどうやって覆すのか、というあたりをよく考えた方が良い。
もう1つの典型的な方法は、2つの研究を組み合わせる、というものである。特に多いのは、最先端の研究成果とその研究室が得意とする手法を組み合わせるパターンだ。2つの最先端の研究を組み合わせることができれば、新規性はかなり自然に手に入る。その代わり、2つの最先端の研究をかなりちゃんと理解しなければならないので、必要な勉強量は多くなるかもしれない。
研究室や指導教員の持っている研究テーマに取り組む場合、前者の方向性になることが多い。また、最先端の研究を元に研究テーマを設定した場合、後者になることが多い。自分がどちらになりそうかを考えながら研究を進めよう。また、特に後者の場合、周りの人の研究テーマや関連研究などがヒントになることが多いので、広く情報を集めるように心がけよう。
まず技術的課題を特定し、次にそれを解決するための着想を与える、となるのが研究としては自然な流れに思える。しかし現実には、技術的課題と着想はいわゆる鶏と卵の関係になっている。解決のための着想がない課題に取り組んでも、そのままでは研究としては何も得られない。
このような観点をふまえると、「課題解決のための着想を得る」とは、「解決のための着想が得られるような課題を設定する」ことだと言ってもいい。別の言い方をすると、大きな目標の中から解決可能な一部をうまく取り出すことができれば、それが技術的課題となる。
典型的かつ理想的なパターンは、八割方なんとかなりそうだが、微妙にうまく行かないところが残っている技術的課題に到達した、というものだ。八割方うまく行くところまで問題を腑分けできれば、最後の1ステップだけの着想は、ある程度の時間真剣に考えれば大体なんとかなる(最悪、比較的ナイーブな思いつきでもなんとかなることが多い)。大変なのは、解決のための目処がほとんど立ってない技術的課題に正面から取り組もうとするパターンだ。博士課程の初期ではそのような経験も大事だが、卒業研究や修士研究ではあまりお勧めしない。
背景・技術的課題・着想のいずれを考える過程でも、関連研究を調べるのは重要だ。また、ある程度研究成果が出てきた後でも、その新規性を確実な物にしてゆくためには関連研究を調べる必要がある。しかしながら、適切な関連研究を見つけるのはそれほど簡単ではない。以下では、関連研究を見つける典型的な方法を挙げる。
最も基本となる方法は、関連の深い論文を1つ見つけ、それを引用している論文や、それが引用している論文を調べる方法である。そのトピックに関する最先端の論文や、そのトピックの基礎を形作った論文、またそのトピックに関するサーベイ論文などを見つけることができた場合には、この方法で芋づる式に関連研究を見つけることができる。
次に基本となる方法は、研究を特徴付けるキーワードを発見し、それを使ってキーワード検索をすることだ。ただし、この方法は言うほど簡単ではない。研究上のキーワードが日常語と同じ場合、それで検索しても関係ない論文が大量に当たってしまう(例えばプログラミング言語では「意味」が非常に重要なキーワードだが、これで検索してもろくな結果にならない)。また、研究上のキーワードが日常語と大きく異なる場合、そのキーワードを知るためには十分近い関連研究をまず見つけなければならない(例えば、プログラム検証では「CEGAR」というキーワードがあるが、専門家以外は知らないだろう)。
以上をふまえ、研究では適切なキーワードを知っているかどうかが非常に大事だという認識を持とう。そして、運良く良さそうなキーワードに巡り会えたら、忘れずにそのキーワードで関連研究を探そう。
適切な学会の予稿集や学術雑誌を調べるのも良い方法だ。探したい研究テーマがスコープのど真ん中の学会の予稿集を、最新のものから5~10年分ぐらい調べるのは役に立つことが多い。 特に典型的なのは、既に見つかっている関連研究の中に、同じ学会での発表が何件もあった、というケースだ。このような場合、その学会の直近数年分ぐらいは必ず確認しておこう。
この方法は、ある程度学会についての知識が必要になるため、最初は難しいかも知れない。また、何年分もの論文を調べるのは少々面倒ではある。とはいえ、この方法には他の方法では得がたい2つの良い点がある。1つ目は、事前に関連研究やキーワードを見つけておく必要がなく、全くのゼロから始められることだ。そしてもう1つの、より重要な点は、これによってその研究テーマを扱った論文がどの程度あるか(場合によってはほとんどないか)の肌感覚が得られることだ。つまり、その分野の研究者の総意や興味の方向性などが何となく見えてくる。これは、自分の研究の新規性を主張する際に非常に役立つ。
なお、学術雑誌は学会に比べスコープが広いのでこの方法には適さないことが多いが、場合によっては検討しても良い。
既に見つかった関連研究の著者の他の論文を調べてみる、というのも良い方法だ。特に、 少し古い研究に対してはその内容をアップデートした最新の研究成果がないかを、 また学会発表に対してはそれを発展させた雑誌論文がないかを、必ず確認しておこう。
専門家に質問する、というのも大事な方法だ。学会や研究会でそのトピックに詳しそうな研究者に会うことがあれば、臆せずに尋ねてみよう。私が知る限り、 全ての研究者は自分の専門に関する質問には喜んで答えてくれる。学生からの質問であればなおさらである。直接会うのが難しい人にはメールを出すのも悪くない。面識のない人であっても、ちゃんと事情を説明すれば、質問に答えてくれるだろう。実際私も、海外の面識のない学生からの質問に答えたことが何度もある。
卒業研究や修士研究でどの程度の研究が求められるのか、というのもよく聞かれる質問である。これは学生にとっては非常に興味のあることかと思うので、以下に私のイメージを説明しておく。また、研究計画書(特に、修士や博士の入学試験や奨学金への応募などで求められるもの)としてどの程度のものが求められるか、というのは深く関連している。併せて説明する。
なお、この話題は学科や指導教員によって全然違う。特に、卒業研究・修士研究については、以下に述べるとおりちゃんとした研究として完成させるのは難しい。そのため、教員は研究全体を均等に指導・要求することはせず、研究のいくつかの側面を重視することになるだろう。そして、その際にどの部分を重視するかはケースバイケースだ。先行研究・関連研究の調査を重視し、技術的課題の解決は重視しないような場所もあるだろう。公知にするための対外発表を非常に重視するような場所もあるだろう。詳しくは指導教員とよく相談して欲しい。
卒業研究では「研究を体験すること」が求められる。より具体的には、研究の構造を知り、研究を目指した適切な活動を行うことが期待されている。そのような活動をできたならば、結果的にそれが研究にならなかったとしても問題ない(例えば新規性があると思った着想が実際には公知だったとか、技術的課題を解決出来ると思った着想が課題を解決できなかったとか)。逆に、研究として適切でない活動は推奨されない(典型的には、新規性の有無を無視することや、結果を公知にする努力を怠ることなど)。研究の典型を知るために、先行研究や関連研究をしっかり調べるのは非常に良い。
卒業研究では、研究につながるような勉強をすることも推奨される。講義で学ぶ内容は最先端の研究には程遠いことが多いため、自分の研究課題に取り組むためにはかなりの勉強が求められる。そのため、学科や指導教員にもよるが、どのような勉強をしたのかがわかるような卒業論文を書くことは、歓迎されることが多いだろう。しかし、勉強することは研究のための手段に過ぎず、研究とは本質的に勉強ではないということは認識しておこう。
修士課程では「研究を実際に行うこと」が求められる。卒研が「お試しなので成果は出なくて良い」なのに対し、修士は「研究結果を出すつもりでやれ」なのでずいぶん違う。特に、修士では「研究として適切でない活動」は本当にまずい。しかし、適切な活動を行ったのであれば、結果的に研究成果にまで至らなかったとしても、許容はされるだろう。
卒業論文では「勉強」が比較的重視されると書いたが、修士論文では多くの場合そうではない。修士課程入学時にすでにある程度勉強しているのが原則だし、研究のために必要な勉強を行うのも当たり前だ。修士論文の執筆にあたっては、自分が調査・勉強した内容から取捨選択しつつまとめよう。
博士課程では、「研究という活動を理解し、独力で研究成果を継続的に出せる」と示すことが求められる。典型的には、複数回(つまりまぐれではなく)研究成果を出し、それがなぜ「研究」であるかをちゃんと説明し、その上で今後の研究の方向性を議論できること、というあたりが要求水準になるだろう。ただし、博士課程の修了要件は分野によって本当に大きく違うため、よく注意してほしい。
修士過程や博士課程の入試では多くの場合研究計画が求められる。また、奨学金等で研究計画が求められることも多い。しかし、私がみた範囲では、研究計画をまともに書ける学生はほとんどいない。
研究計画とは、研究の構成要素のうち「背景」「技術的課題」「課題解決のための着想」からなるものである。「背景」と「技術的課題」を述べるのだから、「先行研究」も多くの場合には必要になるだろう。また、「背景」を説明するためには、ある程度の「関連研究」もあると望ましい。
この説明からも分かるように、研究計画を端的に言えば「未完成の研究」となる。未完成とはいえ「研究」でなければならない。つまり、確からしさが低いとしても、何らかの新規性を伴わなければならない。例えば、「関数型言語について研究したい」というようなものは、そのままでは新規性が皆無なので研究計画ではない。また、その研究期間で解決できそうな技術的課題を提示しなければならない。例えば「P = NP ∩ co-NP」を技術的課題としてはならない。
さらに、研究計画書を通してその段階で求められる研究を行う準備ができていると示すことが求められることが多い。
修士課程入試で研究計画書を提出させられる場合、まず「研究という活動をイメージできているか」が論点になるだろう。研究で求められる新規性とはなにか。研究において先行研究や関連研究とはなぜ重要か。技術的課題とは何か。このような点が理解できていることを、あなたの興味のある研究テーマに沿う形で説明できるかが大事だ。また、その研究テーマに必要な知識をどれくらい勉強したか、も大事な点になる。一方で、専門家から見れば研究計画として破綻していたとしても(例えば修士課程2年で行うには難しすぎる場合など)、方向性として正しければ、それほど深刻な瑕疵とはみなされないだろう。
博士課程入試の場合、修士課程の場合に加えて、それが実際に複数の研究成果をうみうる計画となっているか、という点が重要になる。これを論じるためには、当該研究分野での研究動向や当該研究の位置づけをある程度示す必要がある。またこのためには、その研究テーマについて一定の勉強をすることは必須だろう。
博士課程学生向けの奨学金(例えばJSPSの学振特別研究員)では、さらに「その研究計画が実現可能であること」「その研究の価値が専門家以外からも見て取れること」が求められる。奨学金はお金を伴うものなので、あなたに(どこかの恵まれない子供に対してではなく!)そのお金を使うことが正当化できるだけのものを示さなければならない。実現可能性が全く不明瞭な研究やその価値が判然としないような研究にお金を出すのは難しいだろう。以上からも分かるとおり、研究計画を立てるのは研究を行うのとほとんど同程度に難しい。もし研究計画を立てなければならなくなったら、早めに指導教員に相談することをお勧めする。